top of page
検索
執筆者の写真rieco

初長崎へ

9月17日初めて長崎で歌わせていただきます。

奇跡のご縁ありがとうございます!!


8月からずっとスケジュールがパンパンでここにきて夏風邪をひいてしまいました。

この土日はリハも含めて全ての予定をキャンセルしなければならなくなり、

関係各所には本当にご迷惑をおかけしました・・・

早く回復するため1日何時間寝たんだろうというくらいの睡眠時間です。


ピアノの練習の合間に、最近始めたギターを休憩に入れて、色々なことを思い出しました。


私は音楽活動を始めたのが遅くはっきりと覚えてませんが33歳くらいだったと思います。最初は一人で始めた音楽でしたが、あることがきっかけで「オレンジ・カルサイト」というユニットを組んで、相方のhiroshiさんの作る曲に歌詞をつけることが多くなり、

とても素敵なメロディーにたくさんの曲ができていました。

太陽の花、ダーリン、セビージャ、カモミール、フレグランス・・・

楽曲を評価されることが増えると「rieco」としてどうなんだろう・・・?

と思うようになると同時に、ソロ活動が増えてゆきました。


それからしばらくして現在もサポートいただいている音楽プロデューサーの町田さんに出会い「オレンジカルサイト」としてやっていた時とは違うプロの世界を教えてもらうことに!

やっと簡単なコードを覚えてriecoとして作詞作曲も増え、日本全国町田さんのギターサポートをしてもらいながら歩き、

毎日飛行機移動をして東京→四国→京都などの弾丸スケジュールの時もあり、毎日泣きながら反省会をしたこともありました。


私の持っている多くの時間を音楽に費やし、最初音楽を始めた頃によく言われた「riecoは一体どこに向かっているの?」ということは誰も言わなくなった気がします。


町田さんの素晴らしいアレンジと素晴らしいギターはどこの会場でも高評価をいただき、感謝の気持ちでいっぱいと同時に、また「rieco」としてどうなんだろう・・・?

という気持ちが芽生えてきました。


その気持ちがいっぱいになった2022年友人でもあり敬愛するシンガー高橋智美さんと弾き語りの旅に出ました。

「全責任を自分で取る」多分今までやってこなかったこと。

音楽活動を始めた頃から事務所があって「riecoは何もしなくていい」と言われていた恵まれた環境だったということが今になってよくわかる。

今更だけど弾き語りで自分を試す旅に出かけ、本当に多くのことを経験できました。

私の弾き語りでCDが売れるのだろうか?

思いを届けられるのだろうか・・?

慣れない鍵盤と向き合いながら、音楽を始めた頃のライブ前の吐きそうな緊張感を味わい、ダメすぎて何度も凹んだライブを経験しました。

毎日毎日鍵盤に向かい、ライブを重ね言葉じゃ言えない「あ・・やっとここにきた」というものを感じることができました。


「上手い下手じゃなくrieco一人でもやっていける」


そう思ったと同時に「riecoの楽曲だけを演奏するバンドを作りたい」と言われました。

ずっとずっと願っていた自分のバンド!こんな日が来るなんて夢のようです!

riecoの名前からインスパイアを受け十勝の仲間ということもありチーズの名前「RICOTTA(リコッタ)」という名前にしました!

どんどんライブも決まり、未来の夢も掲げ幸せな日々です。


弾き語りのriecoがあり、RICOTTAのriecoもあり、町田さんのギターとのriecoもあり、そのどこにいてもriecoとして作詞作曲をし弾き語れるんだと自分の強さを遠回りだけど知ることができました。


「潜行密用は愚の如く魯の如し」

ひとの心を捉える可能性にかける、孤独との戦いがシンガーソングライターの宿命。花咲くか咲かないかわからない自分を信じる。ここに耐えること。


この言葉をいつも胸に人生が続く限り明るく前向きに歩きます。

閲覧数:20回0件のコメント

最新記事

すべて表示

Comments


Post: Blog2_Post
bottom of page